ストーリー
Storyハーフの大学生、春樹(サンディー 海)は親に相談せずに通っていた海外の大学を辞め、自分の居場所を見つける為、彼の生まれ故郷である日本に帰国する。
春樹は日本に着くやいなや周囲から違うものを見るような目に晒され、長年会っていなかった両親にも理解してもらえない。
ある日、春樹は団地に母親と二人で暮らす建設作業員のハーフの青年・誠(川添 ウスマン)に出会う。「ハーフ」と呼ばれることを嫌い、「ダブル」と訂正する春樹と違って、誠はうまくやっているようにも見えるが、実は国籍も知らず会ったこともない父親と向き合うことができない葛藤を抱えていた。
様々な出来事を通して彼らは「HALF/半分」から「WHOLE/全部」になる旅を始める。
あなたが私をどう視ているのか。
私があなたをどう感じているのか。
幾つもの眼差しが絡んだ世界で、
生きる事に疲れてしまった心を救ってくれる映画。
一部ではちやほやされるハーフと言われる方たち、異質なものを受け入れることが実は苦手な日本の土壌では、彼らは決して生き易くはないのだろう。 ダイバシティの本来の意味「多様性と包含」について考えさせられる。
中心人物二人だけでなく、小さな役柄も含めてすべての登場人物が魅惑的に光り輝き、生きている。映画監督の才能とは、つまるところ人間を見つめ、人間を描く才能にほかならないのだと確信させる、大器の風格溢れる傑作。
ミックスのアイデンティティーの過度な理論化から脱却し、二元性や不完全さについての個人的な見解に目を向けています。『WHOLE/ホール』ほど正直で感動できる映画はめったにありません。
『WHOLE/ホール』は、日本のミックスルーツの方々のアイデンティティというデリケートな問題に、見事な洞察力と芸術性をもって取り組んだ、正直で、心温まる人間ドラマで、とても感動しました。川添ビイラル・ウスマンの兄弟は、今後も目が離せない恐るべき映画界の才能であることを証明してくれました。
ハーフ、ダブル。
日本ならではの独特なカテゴライズをする言葉。英語では存在しません。中国で我々は"混血"と呼ばれ、フランスに留学した時には半分何々と表現するのは変、父はイギリス人、母は日本人と表現しなさいとホストファミリーに言われました。父もハーフやダブルという言葉を嫌い、bothを使いなさいと叱りました。
今はまったく何を言われようと気にしなくなりましたが、遠い昔、10代の時は主人公の二人が感じていた葛藤も自分も経験しました。あの時の負の思考回路を抜け出すヒントにもなる考えに溢れるこの作品を当時見てれば、それは救われたでしょう。
幼い頃から幾度となく聞かれているはずの「日本人性」を試される質問の数々。
改めてスクリーン越しで見てみると、普段は無にしている感情が蘇る。
「ハーフ」と一括りにされても、当たり前に一人一人感じ方や向き合い方は違う。多様性を描く静かで美しい作品。
満月だけが満ちた月ではない。
社会によって生み出されてしまった欠如を共に抱えながら、でも他人と自分は違うと少しずつ知りながら、心を託せる他者を探す春樹と誠。贈る事と受け取る事を反芻していく二人。人が人に踏み出そうとする時に微かに生まれるさざ波を、耳を澄ませながら掬い取った美しい映画です。
多層なアイデンティティのあり方や人間関係、世界への眼差しを描くこの傑作は、とても大切な問いを突きつけている。エスニシティや国籍、貧富の差が複雑に絡み合うその描き方は面白く、深く思考を刺激する。登場人物、そしてそれを演じる俳優たちの誠実で魂のこもった、人間らしいあり方は、カテゴリー化に基づく安易な「理解」を寄せつけない。何よりも、紋切り型の「正解」や「真実」を提示するのではない。